まりぶのミニマル手帖

少ないモノで、心を豊かに。私だけの「ちょうどいい」を探して

健康診断のあと、服が増えました


こんにちは、まりぶです。

ちょっとブログから離れてしまいました。
不安から気持ちがどこかに行ってました。

 

理由は健康診断です。

ある数値が突然悪化。

先生から「一度精密検査をしましょう」と言われた瞬間、
私の頭の中では勝手にドラマが始まりました。

「このまま腎機能が落ち…」

「数年後には透析…?」

「え、塩分って全部敵?」

完全に先走りです。

ネット検索も良くありません。

調べれば調べるほど、
口にするものは全部毒に見え、
もうすでに重症患者・・

というような気分になりました。

 

 

-------------------------

そんな不安の中、
なぜか私は服を買い始めました。

しかも、

「来年も着られるベーシックな服」

ではなく、

「今これ着たい!!」

という服ばかり。

 

どうやら私の脳内では、

“健康寿命が短いかもしれない”

“好きな服は今着ねば”

“かまわん!買ってもいい!”

という謎理論が完成していたようです。

人間、追い詰められると判断基準が独特になります。

 

-------------------------

幸い、精密検査の結果は問題なし。

本当に安心しました。

ただ、そのあと現実が待っていました。

増えた服です。

 

クローゼットを開けるたび、

「誰だこんなに買ったの」

と思うのですが、
犯人は100%自分です。

しかも試着だけして満足し、
一度も外で着ていない服まである。

“健康寿命を心配して買ったのに、健康なうちに着てない”

もはや何をしているのかわかりません。

 

-------------------------

ミニマリズムを実践していると、

「モノに執着しない自分」

を理想にしがちです。

でも実際は、
不安になるとモノを持ちたくなるし、
安心したくなるし、
“今”を掴みたくなる。

ああ、私ってなんて人間らしいのだ。

 

-------------------------

今、少しずつクローゼットを整理しています。

あの時の

不安を抱えつつ、
貯金残高なんか気にしなくても好きなものは買ったらいい!
という前向きなのかやけくそなのか・・

あれはなんだったんだろう。

 

たぶんあれは、
単なる物欲ではなく、

「まだ楽しみたい」

という気持ちだったんだろうなあ。

まだ私は人間やっていたいんだなあ。

そう思うと、
少しだけ優しく処分できるような気がします。

 

-------------------------

今回、わかったことは

人は不安になると理性的ではいられない。

そして

不安になると、
人は未来より先に服を買うようです。

・・・わたしだけ?

 

-------------------------

ということで、
またぼちぼち書いていきますので
今後ともよろしくお願いいたします。

 

-------------------------

そして・・
投稿したつもりが「下書き保存」になって数日経っていた・・

あはっ (;^_^A

タダのものが高額品になった話 その2 バカボンカップ人生を語る

こんにちは まりぶです。

前回、金継ぎされて高額品になった「バカボンカップ」の話をしました。

minimal-maribu.hateblo.jp

あの日、シンクで鳴った「コツン」という音。

あれが終わりの音だと思いました。

けれど半年後、
金の線をまとって戻ってきたこのカップは、
どこか誇らしげに見えました。

「バカボンが着替えた!」(笑)

タダだったはずのカップは、
いつの間にか、
我が家でいちばん手放せない存在になっています。

ここで、ふと考えました。

「価値」とは何だろうかと。

必ず「値段」に関係があるものでしょうか?

あのカップには、
娘がまだ小さかった頃の時間が染み込んでいます。
不器用な絵付けも、
先生とのやりとりも、
毎朝それでコーヒーを飲んできた25年も。

全部が、この器の中に残っている。

ヒビは増えましたが、
思い出もまた増えました。

値段はついていなくても、
確かに積み重なってきたものがある。

一方で、「値段」は数字です。
誰にでも同じ基準で示せるもの。

でも「価値」は違います。
それは、その人の記憶や物語と結びついたときに生まれるもの。

そこに値段はつけられません。

 

-------------------------

そして金継ぎの線は、
割れたことを、
この器の新たな歴史を作りました。

傷がついたから終わりではなく、
傷があるからこそ深くなる。

タダだったこのカップは、
11,000円を払ったことで高くなったのではなく、

「向き合った」
「受け入れた」
ことで、私の中で特別な存在になりました。

値段は後からついてきただけ。

本当の価値は、
ずっと前からそこにあったののだということにも気づきました。

 

-------------------------

そして
モノに対してどこまでも大切に扱う、昔の日本人の意識の高さにも触れた気がしました。


金継ぎの線は、
ヒビを隠すためのものではありませんでした。

傷をなかったことにするのではなく、
そこにあえて金を置く。

欠けたことを恥じるのではなく、
その歴史を、器の一部として残す。

日本には、
「壊れたら終わり」ではなく、
「壊れてからが始まり」という美意識があります。

金継ぎは、
欠けやヒビを“修復”する技術でありながら、
同時に“肯定”であり“美”の文化でもあるのだと感じました。

完全なものよりも、
不完全なものに宿る味わい。

均一よりも、
ひとつしかない表情。

それはどこか、
侘び寂びにも通じる感覚なのかもしれません。

 

-------------------------

それは、どこか人の生き方にも似ている気がします。

私たちもまた、
誰しもが失敗や後悔や傷を抱えて生きていますよね。

けれどそれを消そうとしたり
なかったことにしようとするよりも、

「向き合い」
「受け入れる」
ことでそこに意味が生まれて、
人生は少し深くなるのかもしれません。

失敗も傷もそのうち笑い話になり、
その人の意外な面が現れ、深みに感じます。

傷は、弱さではない。

それは、
生きてきた証であり、成長した証。

バカボンカップを見ながら
そんなことを思ってみたりしました。

 

このカップは、
壊れたことで価値を失ったのではなく、

壊れたことで、
物語を得ました。

何人かの人の手により今の形に作られました。

「育てられた」

といっても過言ではないです。

 

カップを育てるってなかなかいいなぁ(笑)

 

傷の跡
世界にひとつ
金の線

タダのものが高額品になった話 その1 バカボン着替える

↑なんとも年季の入った一品です。

こんにちは、まりぶです。

このコーヒーカップは、娘が小学生のときに作ったもの。
担任の先生が焼いてくださったカップに、娘が絵付けをしました。

もう25年も前のものです。

形は少しいびつ。
絵付けは、どこか『バカボン』のほっぺと着物の柄のようで(笑)

でも、このきちんとしすぎていない、ゆるやかな感じが好きで、
ほとんど毎日のように使っていました。

ある日、洗おうとした瞬間――
手が滑り、シンクの角に「コツン」。

嫌な音がしました。

見ると、結構派手にヒビが。

「ああああああ!バカボンカップが!!」

ついにサヨナラの時を迎えたのか……そう悲しく思いながらも、どうしても手放す気になれずずっと出窓に置いていました。

-------------------------

そこで思いついたのが「金継ぎ」。

調べてみると、車で20分ほどの場所に工房があることが分かりました。

その地域は、かつて和紙の生産で栄えた町。
今はすっかり静かになっていますが、
親戚の工房を引き継いだ30代の男性が、漆を使い、和紙を食器にするなど新しい挑戦をされていました。

見せていただいた金継ぎの作品は――

お茶の先生から贈られた大切な器。
おばあさまから受け継いだ高価な食器。

どれも、いかにも“立派”なものばかり。

そんな中で、
「こんなバカボンカップええんやろか……」
と私はおそるおそる娘のコーヒーカップを差し出しました。

けれど、職人さんはとても穏やかに、

「大事に使われてきたのが伝わりますね」

と言って、快く引き受けてくださいました。

-------------------------

そして、待つこと半年。

ようやく戻ってきたのが、こちらです。

バカボンが立派な着物に着替えてる!!!

 

金継ぎ代、税込11,000円。
タダだったものが、立派な“高額品”になりました。(笑)

けれど不思議なことに、
その金の線が入った姿を見た瞬間、

「高い」とは思いませんでした。

むしろ、

「なんて素敵に生まれ変わったんだ。」

そう感じたのです。

そして以前にもましてお気に入りになり、
扱いも自然と丁寧になりました。

-------------------------

ミニマリズムを始めてから、
どんぶりな私もお金の使い方には以前よりも慎重になりました。

けれど今回、

「使うところには惜しまず使う」

という選択ができたことが、
とても気持ちよかったのです。

安いから買う。
高いから大切にする。

そうではなく、

大切だから、手をかける。

私はそういう風にモノを扱いたかったのだと改めて感じました。

そしてタダだったこのカップは、
私にとって、いちばん価値のある器になりました。

何もない病室で、父は俳句を詠んでいた

みなさま、こんにちは。
整えびとのまりぶです。

今日は、世間の物差しで測るとかなりはみ出していた、父の話をさせてください。

 

父は十五年前に他界しました。
ひと言で言えば――規格外。
悪い意味ではありません。取扱説明書がなかった、という意味です。(笑)

ある朝、出勤途中の交差点で大型トラックに衝突され、軽トラごと吹き飛ばされました。
車は大破。父は脳内出血と複雑骨折。全治半年。

救急病院に運ばれ、看護師さんが必死に問いかけます。

「これ、わかりますか?」(指を一本立てる)

父:「おお、きれいな指じゃ。」

「ふざけないでください!これは?」(二本)

父:「ピース。」(自分も二本)

「お名前は?」

父:「みうらともかず。」

「奥さんの名前は?」

父:「ももえ。」

……重傷患者が昭和スターで遊んでいます。

父いわく、救急隊員から病院スタッフまで、会う人ごとに同じ質問をされ続け、まじめに答えるのに飽きたのだとか。

私が駆けつけたとき、顔色は悪く、正直、「覚悟」という言葉が頭をよぎりました。
そのときの第一声がこちらです。

「ワシ、母さんの弁当食っとらん。腹減った。」

痛みより空腹が勝つ神経。
娘の食欲はきれいに消えました。

父は、そういう人でした。

-------------------------

しばらくは個室の病室で、ほとんど身動きの取れない日々が続きました。

白い壁、白い天井、白いシーツ。
まるで小さなホワイトボックス。

ある日、父が手帳と鉛筆を持って何かを書いていました。

「何してるん?」

「俳句、作りよる。」

思わず笑ってしまいました。
「こんな何もないところで?」

父は窓の外を見ながら言いました。

「空が見える。山が見える。田んぼが見える。人が働いとる。十分じゃ。」

その瞬間、胸の奥で何かが静かに動きました。

ああ、この人は“ない”を見ていない。
“ある”を数えているのだ、と。

-------------------------

小さな病室。
持ち物は必要最低限。
体の自由も、ほとんどない。

条件だけ見れば、不自由のかたまりです。

けれど父は、状況を嘆くよりも
「どう過ごすか」
「何が見えるか」
に目を向けていました。

何もない、というのは
本当に何も存在しないのではなく、
余計なものが削ぎ落とされている状態なのかもしれません。

削ぎ落とされると、視界が澄む。

白い壁があるから、空の色に気づき、
動けないから、風の変化に気づく。
暇があるから、人の営みを眺められる。

そしてそこから、言葉が生まれる。

私はあのとき初めて、
「少ないことは、弱さではない」
と知りました。

むしろ、感受性を研ぎ澄ませる条件なのだと。

-------------------------

私たちはつい、足りないものを探します。

もっと広さがあれば。
もっと時間があれば。
もっと余裕があれば。

けれど父の病室は静かに教えてくれました。

豊かさとは、足すことではなく、
見えるようになることなのだと。

少ないもので暮らすことは、
我慢ではありません。

削ぎ落とした先に残ったものを、
ちゃんと味わうこと。

あの白い部屋で俳句を詠んでいた父は、
きっとあの瞬間、誰よりも自由でした。

あれが、私にとっての
ミニマリズムの原風景です。

 

空と山
田畑を見れば
風知れる       

ストックの罠:多ければ多いほど「お金と安心」が逃げていく理由

みなさま  こんにちは
整えびとのまりぶです。

みなさまは日用品のストック、どうされていますか?

「安い時にまとめ買い」派でしょうか、
それとも「必要な時にその都度」派でしょうか。

私はもともとストックをあまりしない方なのですが、周囲の「ストック達人(?)」たちを見ていると、ある共通の「奇妙な現象」が起きていることに気づきました。

今日は、安心のために溜めたはずのモノが、いかに私たちを追い詰めるか、「モノが多ければ多いほど、実は損をする」という真理についてお話しします。

 

1、終わりのない増殖:管理不能な「文房具の墓場」

私の知人の事務所の話です。

彼は非常に多忙な方で、その事務所はまさにカオス。

棚には文房具専用スペースがあるのに、なぜか押し入れの紙袋からも大量のペンや付箋が出てきます。

「ホッチキスの針、どこだっけ?」 「確かこのへんに付箋があったはず……」

彼は常に探し物をしています。

そして外出先で「あ、ハサミ忘れた!」とコンビニで購入。

こうして増えたモノが、また紙袋に入れられ押し入れへ……。

これは「在庫管理コスト」の完全な破綻です。

100均やコンビニでの数百円の出費も、積み重なれば数万円の損失。
モノが多すぎると「持っていること」自体を忘れてしまい、結果的に同じものを何度も買うという無意識の浪費と無駄な納税を繰り返すのです。

 

2、冷蔵庫は「ゴミのシェルター」ではない:松坂牛の悲劇

次は、私の兄夫婦の家のエピソード。

二人暮らしには十分すぎるサイズの冷蔵庫があるのに、倉庫にはさらに予備の冷蔵庫と冷凍庫が鎮座しています。

中身はどれもギッシリ。

ある日、私がその冷凍庫からモノを出そうとした時、燦然と輝く「松坂牛」が目に飛び込んできました。

「うわっ、にいちゃんスゲー!」と声をあげたのですが……。

なんと、消費期限は一年前。

絶句!

私はそっと、その「元・高級牛」を冷凍庫の奥に戻しました。

「いつでも食べられる安心」のために買ったはずの食材が、保管場所の電気代を食いつぶし、最終的にゴミになる。

これはもはや、「ゴミを冷やすために電気代を払っている」というシュールな逆転現象です。

 

ちなみに、これが我が家の「買い物前」の冷蔵庫です。
この余白こそが、鮮度と家計を守る防波堤だと思っています。

 

3、スペースの家賃:最安値で買ったはずが「ストレス」を買っていた話

これは私自身の痛い経験です。

かつて、ネットで見つけた「最安値」のトイレットペーパー(48個)とティッシュ(60箱)を箱買いしたことがありました。

「私って賢い!」と悦に入っていたのも束の間。

届いた巨大な段ボール二箱を前に、私は立ち尽くしました。

「これ、どこに置くの……?」

無理やり縁側や押し入れに押し込みましたが、視界に入る巨大な箱は、想像以上のストレスでした。

そして驚いたことに、その圧迫感から逃れたい一心で、「早く消費してスペースを空けなきゃ!」と、無意識に使う量が増えてしまったのです。

安く買ったはずなのに、貴重な居住スペースをモノに占領され(家賃の無駄)、さらに消費スピードまで上がる。
これではちっとも経済的ではありません。

私には、一時のお得感よりも「すっきりとした空間」の方が、よほど価値があったのです。

それ以来、日用品もなくなりかけたら買い足すようにしています。

 

ストックという安心感の裏にある「経済的ダメージ」

お得に買い物をして、完璧に在庫を管理できる方は素晴らしいと思います。

しかし、管理能力を超えたストックは、安心感どころか「金銭的な漏れ」と「精神的なノイズ」を生むだけです。

自分が心地よく管理できる量。

それこそが、結局のところ一番お得で、豊かな暮らしへの近道なのだと痛感しています。

皆様の家の「高級食材」は、大丈夫ですか?(笑)

収納の罠:最強の収納術は「収納しないこと」

 


みなさま こんにちは
「整えびと」のまりぶです。

今回は、私がミニマリズムに目覚める前にどっぷりと浸かっていた、ある「甘い罠」についてお話しします。

実を言うと、私はかつて「整理収納アドバイザー」の資格を取得するほどの収納マニアでした。

「いかに機能的に、いかに美しく収めるか」を探求し、パズルのピースがピタリとハマるような快感に酔いしれていたのです。

しかし、その情熱の裏で、私はある重大な矛盾に気づいていませんでした。

 

1、「収める」技術が、モノを増やしていた皮肉

シンデレラフィットの裏に隠された「家賃を払うゴミ」

以前はどうしたらモノを美しくしまえて、かつ取り出しやすくするかということに心血を注いでいました。

そのため、押し入れの中は揃えられたケースが埋まり、ケースや引き出しの中は完璧な仕切りをし、引き出しを開けるたびに「美しい」とつぶやいていました。

私のこだわり強めの収納という趣味のため、モノの住所もちょくちょく移動し、テキトウが大好きな家族も迷惑だったことと思います。

『シンプルな暮らし』を毎年の目標に掲げていたにもかかわらず、当時は『家にあるものはすべて必要不可欠』と、1ミリの疑いもなく信じていて、『捨てる』『減らす』という選択肢はありませんでした。

今思えば、不要なモノたちのために高級な収納ケース(個室)を買い与え、私がその家賃を払っていたようなものです。
なんて寛大な大家さんだったんでしょう、私(笑)

 

2、空間の引力:埋めずにはいられない人間の心理

「空きスペース」という名の真空地帯が、新たなモノを呼ぶ

パーキンソンの法則』はご存知でしょうか?
人はお金や時間などの資源を、あればあるだけ使ってしまうという 性質があります。

例えば昇給したらそれだけ貯金ができるはずなのに、上がった分だけ贅沢をしてしまい、結局貯金できない。1時間で終わる仕事も2時間を設定していると、2時間かかってしまう・・というようなものです。

これが収納、空間の空きスペースに当てはまりました。

冷蔵庫と壁との隙間に合うような引き出し棚をDIYしたり、突っ張り棒を駆使して収納を増やしたり。
そうやって収納スペースを作り、そこに合う収納グッズを買うと、そこを埋めたくなり、入り切らなくなるとまたグッズを買うとういう明らかな悪循環です。

収納スペースを増やせば、収納ケースを増やせば解決すると思っていた私は、どうやら火に油を注いでいたようです。
収納グッズを買い揃えるたびに、モノたちの『定員数』を増やし、増殖を許可していたのですから。

 

3、 収納への投資、そのコストパフォーマンス

「収納にお金を使う」という最大の疑問

そうやって収納グッズに多額の資金を投じていたことに当時、ちょっと違和感を感じていました。

モノを管理するためになんでこんなにお金がかかるのだろうと。

しかも、きれいに収めた押し入れや棚の中の多くの物は、そこにいるだけでこの世に出ることがない。
そして、新たなアイディアが浮かんだらまた収納グッズを買い、モノを出したり入れたりの繰り返し。

でも、これをしないと美しい空間は保てないし、資金を投じないと全てのモノの管理はできないと信じていました。

しかし家中の全てのモノを美しく収納するなど資金的にもできないので、ある部屋は物置きになり、収納から溢れたものが部屋に散らばっているなど、不完全な住まいを余儀なくされていました。

 

箱を捨てることで、自由を手に入れる

ミニマリズムを実践し始めて愕然としました。

モノが減るとそもそも収納にお金もエネルギーも注がなくていいじゃないか!

そのうち、モノではなく、
「捨てられるケースはないだろうか?」
「この箱を捨てるには、何を捨てればいいだろうか?」
と考えるようになりました。

整理収納アドバイザーとして「美しくわかりやすくしまう」ことを極めようとしていた私が、最後に辿り着いた答えは

「箱を減らせば、中身は勝手にいなくなる」

というシンプルな真理でした。

引き出しの中にはモノが少し並べられているだけなので、仕切りの必要がなくなった箇所もあります。

そして、『整理収納アドバイザーの資格証』も捨ててしまいました (笑)

あれほどマニアだった整理収納の技術ですが、今は収納を考えなくてもよいくらいの物量にしたいと考えています。

常に「埋めたい」と思っていた空間は、空間そのものを楽しむゆとりへと変わり、収納資金も他のことに回せるようになりました。

そうやってやることを減らして、本当にやりたいことをしたいですよね。

経済の奇跡:家計簿と投資、人生のマネジメント 〜「どんぶり勘定」の私が投資を始めるまで〜


↑みなのもの 聞くがよい by ウチ猫1


モノの管理の先にある「数字」の景色

みなさま こんにちは。
「整えびと」のまりぶです。

モノを減らし、時間を整え、心がブラッシュアップされた私のミニマリズムの旅。
その視線は今、「お金」という現実的なエネルギーへと向けられました。

以前の私は、「稼いでは消える」という不可解な現象を繰り返す、いわゆる「どんぶり勘定」の達人でした。

しかし、ミニマリズムで管理能力を鍛えられた私に、自分でも信じられないような変化が起きたのです。

 

1、家計簿との向き合い方:現実を「直視」する知性

「家計簿?つけても変わらん」という内なる声を黙らせた、データの力

家計簿は以前からつけていたんです。
しかもエクセルで自分仕様に作り上げた結構緻密な家計簿を。

しかし、つけるだけで満足していたので、毎月「あ~あ、今月も赤字・・でも仕方ないよね。」を繰り返していました。

ミニマリストになるとお金が溜まり始めた」というようなYou Tubeなどの情報に引き寄せられて、その先の家計管理の動画も見始めるようになりました。
そして、家計簿をつけるだけではなく、反省と対策を繰り返すようになったんですね。

以前は感情で使っていたお金を、家計簿という「羅針盤」によって客観的にコントロールできるようになったように感じます。

主婦歴を考えれば『今頃?』というツッコミが飛んできそうですが💦

私にとって、今が人生で一番『現実を見る目』が澄んでいるはずですので。

 

2、物欲の昇華:黒字を生む「こだわり」の法則

「あれもこれも」を捨てたら、黒字と「本物」が残った

「これ本当に必要?」そう自問自答することが多くなりました。

以前は「これはいい!」と思っては購入していましたが、今は「いいな!」と思ってもしばらく放っておくとその感情が消えていき、買わなくなることが多くなりました。

それと、モノが壊れては代わりのモノを必ず購入していましたが、それも無いなりに生活していたらなくても困らないこともあり、買い物の回数が減りました。

自炊が多くなったというのも、黒字の月が増えたことに大きく関係しています。

minimal-maribu.hateblo.jp

そして、家計簿で今の経済状況を把握し、自炊が増え、安価なモノを手あたり次第に購入するのをやめたことで、少し余裕ができ、物欲が減ったのに「これは!」というものにはお金を惜しまないということもできるようになりました。

物欲が減ったおかげで、私の財布の紐は以前より硬くなりました。
安価なモノで心の隙間を埋めるのをやめ、「価値(バリュー)」に対して対価を払うようになった結果、支出が減り、満足度が上がるという経済的逆転現象。

『量より質』の生活を徐々に叶えつつあるように思います。

 

3、驚愕の飛躍:モノから「資産」への意識拡張

投資を始めた私。……世界がひっくり返る音がしました

今までお金の勉強とかしたことなかったんですね。
それが家計管理の動画で学び始め、ずっと、「私にはムリムリ」と手を出すことのなかった投資を始めました!

まだまだ始めたばかりで、ほんの少額ですけれど。

しかし、私が投資・・もう、絶対ありえん。
太陽が西から昇るレベルの衝撃です。

でも、モノの住所を決めることができるようになった私にとって、お金の行き先を決める『投資』は、意外にも地続きの作業だったのかもしれません。

モノの管理(ミニマリズム)で学んだ「不要なものを削ぎ落とし、価値あるものを育てる」という思考が、そのまま資産運用という人生のマネジメントに繋がり拡張されたのかもしれません。

 

お金を整えることは、未来を整えること

家計簿に並ぶ数字は、単なる支出の記録ではありませんでした。
それは、私が「どう生きたいか」という意志の跡。

「なんとなくお金を使って生活する」から、「意図を持ってお金を使い主体的に生きる」
「お金に支配される側」から、「お金を支配する側」に

ミニマリズムが教えてくれたのは、「自分の領土(人生)の統治権を取り戻す方法」だったのかもしれません。

モノを整え、お金を整え、視界がクリアになった今、私の投資した「未来」は、どんな景色を見せてくれるのでしょうか(=^・^=)