まりぶのミニマル手帖

少ないモノで、心を豊かに。私だけの「ちょうどいい」を探して

習慣の奇跡:三日坊主の私が、自分でも驚く「ありえん」変化を遂げるまで

↑極上のしあわせなのにゃ by ウチ猫2


土壌を整えた後に、芽吹いたもの

みなさま こんにちは
「整えびと」のまりぶです。

物理的なモノを捨て、思考のノイズを払い、時間の漏れを防いできました。
そうして出来上がった「余白」という名の真っさらな土壌に、今、新しい芽が次々と吹き出しています。

以前の私を知る人が聞いたら、「え、あのまりぶが?」と耳を疑うような、自分でも驚く「ありえん」変化。

今回は、ミニマリズムの先にある「習慣の奇跡」についてお話しします。

 

1、日記という名の「自分との対話」が2年突破!

三日坊主の殿堂入りだった私が、なぜか2年も書いている事実

これは一体どうしたことでしょう。
この私が日記を2年間欠かさず続けている!
小学生の頃の夏休みの日記も、何日分もまとめてやっつけ仕事で書いていた私が!!
(※これは日記と呼べない。)

その日できたこと、感じたこと、よかったことなど、ほんの数行ですが、それでも続いていること自体がホントにこれこそ奇跡なんです

そして「書くこと自体が楽しい」んですよ。
(※基本的にネガティブは書きません。)

その日インプットしたことで心に残ったことを書き留めたり、自分の考えや思い、やってみたいことなど、日によっては長く書くこともあり、後から読み返すと、次の行動のエネルギーやモチベーションに変わっていきます。

日記は単なる記録ではなく、「自分を客観視するメタ認知のツール」なんです。

モノを減らしたことで、脳のキャパシティが空き、新しい習慣を入れる余裕ができたのかもしれませんね。

 

2、創造の奇跡:インプットの奴隷から、アウトプットの冒険家へ

「やりたい」を「やる」に変える、フットワークの軽さ

このブログもですが、新しい挑戦や、やりたかったことに手を付け始めました。

先ほどの日記も、「その日の感謝できることを、毎日5つ書くといい」というのをどこかで聞いてやりはじめました。

そもそも行動に移すところが大きな変化なんです。

今まではいいと聞いても中々やろうとしなかったのですが、ミニマリズムによって「決断疲れ」や「余計なタスク」が解消されたことで、新しいことに飛び込む体制や余裕が出てきて、脳の実行機能が新たに稼働し始めたことは間違いないかと思われます。

このブログもその一つ。

以前なら『いつか、時間ができたら……』という墓場に埋めていたはずの挑戦が、今、こうして皆様の目に触れている。

これこそが奇跡です。

 

3、朝の儀式(ルーティーン):義務が「ご褒美」に変わる時

毎朝のルーティーンが、一日のハイライトになる贅沢

以前は朝の家事は義務感でやっていて、毎朝苦痛でした💦

その朝の家事を「ルーティーン」として固定化し、習慣化したことで、家事が苦痛ではなく、淡々とこなすことができるようになりました。
キッチンも、物が減って以前よりスッキリしていることも、作業効率に拍車をかけていると思います。

途中、窓を開けて外の空気を感じながらコーヒーを飲む時間が極上なんです。
(※安上がりな女完成)
この時間を楽しみに、脳のエネルギーを消費せずにフロー状態でせっせと作業ができるんですね。

そして、8時半に一日の大半の家事を終えると、空間が整い、静寂が訪れます。

外部のノイズが入る前に家事を終え、時間と空間を整えることで、これから始まる一日の主導権を取り戻した感覚が得られます。

 

4、慈しみの奇跡:「自分を労わる」という最優先事項

年齢のせい……ではありません!「自分を愛でる」という高度な技術(と思う)

いやぁ、これは今までにないことです。
それは自分の心身を大切に扱い始めたこと。

今まで、外側のことに忙しすぎて、自分のことは放りっぱなし。

健康のことが気になり始めるお年頃のせいかもしれませんが、これは成熟です(ということにしたい。)

スキンケアもやっつけ仕事だったのが、ゆっくり時間をとって丁寧にするようになったし、体の不具合もケアする意識が高まったし。
瞑想もかかさずしています。

モノを大切にするようになった延長で、ようやく世界でたった一人の自分も、大切に扱うべき『一級品』だと気づいたようです。

なんたって、これから先一番頼りになるのは自分ですし、その時々、一番いい状態でいることが最大に人生を楽しめますものね。

 

ミニマリズムは、人生をデザインするための「筆」

二年前、モノを手放し始めた頃の私には、今の景色は見えていませんでした。

ただ単純にモノを減らし続けただけなのですが、ミニマリズムとは、単にそれだけにとどまらず「自分が本当に大切にしたい習慣を育てるためのスペース作り」になりました。

「ありえん」変化は、小さな一歩の積み重ね。

これからも、整えられたこの空間と時間の中で、私は私をアップデートし続けます。

心の奇跡:見栄と「めんどくさい」を断捨離して、自分を好きになる方法 2

↑うまそうだ・・ by ウチ猫1


みなさま こんにちは。
「整えびと」のまりぶです。

前回の記事で「見栄」と「めんどくさい」の断捨離のお話をしました。

minimal-maribu.hateblo.jp

今回は幸せのコスパが良くなり、人のことに意識が向き、今後の種まきまで着手するようになったお話を綴っていきます。

 

3、幸福のハードルを下げる:「まぁ、ええかぁ」の魔法

喜びの水準が低くなると、世界はこんなに美しい💛

空間の余白から時間の余白、それが心の余白へと広がっていったとき、以前ならいちいち心に引っかかっていたことが「まぁ、ええかぁ」という許容範囲が広がりました。

これは私のようなHSP気質の方や頑張りすぎてしまう方にとって、魔法の言葉です。
この言葉が増えたことで、どれだけ心が楽になったことか!

それと同時にちょっとしたことに感動できるようになりました。

周りにある自然や日常に、驚きや喜びが感じられるようになりました。

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以前は豪華なランチでないと満足できなかった私が、今は淹れたてのコーヒー一杯で『人生いい感じ』と言える。
確実に幸せのコスパが良くなりました。

安上がりな女になったものです(笑)。

 

4、自分から相手へ:静かな自信が「聞く耳」を育てる

自分の話をしたがる私が、人の話を聞けるようになった不思議

見栄を捨てることで自分を誇示する必要がなくなりましたので、自分のことをあまり話さなくなったように感じます。

その分、相手の話を聞く側に。

承認欲求が満たされているからこそ、相手にエネルギーを向けられるようになった、という心の余裕が生まれたのでしょうか?

まずは自分を満たす、大事なことですね。

それがミニマリズムから、モノを減らしていくことから起きたことは私にとって予想外でした。

 

5、コツコツの芽生え:何かを積み上げてみたい、という新しい欲求

「地道」が苦手だった私が、未来を耕したくなるまで

私、凄い飽き性なんです。
好奇心は旺盛なので色々手を出すのですが、継続ができない。

なのにコツコツと何か(ブログや習慣)を積み上げることをしたくなったんですね。

目の前のモノを一つずつ手放してきた「積み重ね」が、自分に「継続する力」があることを教えてくれたのでしょうか?

そして、「見栄」という名の重い荷物を下ろし、「めんどくさい」という心のブレーキを外した素の自分でいることは、「地に足がついた自分」でいるということ。

つまり、やっと自分の足で歩くという準備ができたということ。

だから、自分のそのままの力で「積み上げる」、「コツコツ地道に」ということに喜びが生まれてきたのではないのかなぁと思うんです。

60歳を越えて今さら💦ですが(笑)

還暦は、60年生きて干支が生まれた年のものに戻るということで、「第二の人生の始まり」らしいので、今から、新しい自分が生まれたのだということにします。

今から「新しい自分への種まき」
そう思えば還暦も楽しいものです。

 

ミニマリズムは「心のリノベーション」

ミニマリズムを実践し始めてから、見栄という名の荷物を降ろし、めんどくさいという心のブレーキを外して、自己肯定感も少しづつ上がり、軽やかに。

これからも私は「自分にこだわる」を軸に、コツコツ、地道に「整えびと」を楽しんでいきたいです。

心の奇跡:見栄と「めんどくさい」を断捨離して、自分を好きになる方法 1

↑「かったりぃ、ですけど何か?」なウチ猫2

 

モノを捨てたら、自分が見えてきた

みなさま こんにちは。
「整えびと」のまりぶです。

モノを減らし、時間を整え、働き方を変えてきた私のミニマリズムの旅。
その先で待っていたのは、想像もしていなかった「心の劇的な変化」でした。

物理的なゴミを捨てたつもりが、実は心にこびりついていた「見栄」や「執着」を剥ぎ取っていたようです。

今回は、ミニマリズムが私の内面に起こした、静かで力強い奇跡について綴ります。

 

1、見栄の脱ぎ捨て:他人の目より、自分の居心地

「どう見られるか」を捨てたら、自己肯定感が勝手に上がった話

以前は自分に自信がないため、高価な洋服や持ち物で自分を武装していました。

それが、モノを片付けていくうちに、それらの高価なモノ達が今の自分にしっくりこなくなっていて、今の自分をしっかり見つめるようになった気がします。

そして仕事の奇跡でもお話ししたように、モノを手放すことで「いい人」「できる人」という見栄も手放せたんですね。

 

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これは本当に心地いです。
「立派そうな自分」を演じなくていいんです。
今のそのままの自分でいる方がよっぽど地に足がついている感じです。

洋服を選ぶ時も、「人からどう見られるか」よりも「自分が心地いいと思えるか」で選ぶようになりました。

他人からの評価(外的な承認)に頼るのをやめ、自分軸(内的な納得)で生きるようになったことで、結果的に自己肯定感が高まったように思えます。

自己肯定感とは、何か他のものを足すことではなく、自分を縛っている不要な鎖を外すことで得られるものだったのですね。

高級な鎧を脱いだら、中身はただの『まりぶ』でしたが、意外とこっちの方が身軽でいい感じなんです。

 

2、「めんどくさい」の正体:脳のノイズ、無意識なタスクを断捨離する

口癖だった「めんどくさい」が、どこかへ消えてしまった理由

以前はあらゆることに「めんどくさい」と言っていましたが、その頻度が激減しました。

モノが多い=選択肢が多すぎて脳が疲労(決断疲れ)していたから「めんどくさい」と感じていたのではないかと思います。

物理的な障害が減ったことで、行動への心理的摩擦が消えたんですね。

そして、見栄を手放したということは、見栄のための余計なタスクも減ったということです。

やりたくないけれど、やらなければならない自分を良く見せるためのタスク。
これはストレスの元ですし、やりたくないので「めんどくさい」になりますよね。

このように考察していくと、私はなんて複雑な思考回路でストレスフルで時間も無駄にしていたのだろうと思います。

 

今までの私は、人に良く見られるためにモノに頼り、次第にモノに埋もれてしまって自分が見えなくなってしまっていたのかもしれません。

なので、今の自分に必要なものだけにしていくうちに、自分が見えてきて、心の余計な鎧も捨てられたのかなぁ、などと思ったりします。

 

お部屋は心や頭の中を表しているとはよく言われますが、それならば部屋の中を片付け、モノを減らしていくことで、心や頭も軽くなるのも納得ですね。

(つづく)

時間の奇跡:家事の省エネ化と「主婦の迷走」が教えてくれたこと

↑押し入れという我が家へようこそ  byウチ猫1


みなさま こんにちは
整えびとのまりぶです。

以前、ミニマリズムで起きた奇跡について綴りました。

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今日はこの中の「時間の奇跡」について深掘りしていきます。

 

時間は「生み出す」のではなく「こぼれ落ちるのを防ぐ」もの

モノを減らし、空間を整えた私に起きた奇跡。
それは「時間の使い道」の変化でした。

以前の私は、家事に追われ、探し物に時間を溶かし、常に何かに急かされていました。
しかし、ミニマリズムが板についてきた今、私の家事は「省エネ化」され、空いた時間で主婦としての新たな迷走(?)が始まっています。

 

1、「手抜き」か「最適化」か:家事時間の激減

家事時間が減ったのは、私が進化したから? それともただの怠慢?

私の朝は6時に始まります。
朝食とお弁当作り、洗濯、お風呂掃除、そして掃除機がけ。
驚くことに、これら一日のメイン家事のほとんどが8時半には終わってしまうのです。
(※この間に、コーヒーをゆっくり飲む時間、朝食時間、朝のルーティーンもあります。)

正直、ただの手抜きかもしれません(笑)。
でも、気合を入れて頑張って掃除をしていた頃より、家は綺麗なんです。
これは「物理法則のバグ」でしょうか?

理由は明白でした。
以前は掃除機をかける前に、「散らかったモノを元に戻す」「床の上のモノを避難させる」という膨大な『前工程』があり、それが心理的なハードルを上げていたのです。
モノが減った今は、気になった時に「ざっとかける」だけ。

朝の元気なうちに家事を完結させることで、その後の時間を「自分のため」に有意義に使えるようになりました。

 

2、迷走する主婦:なぜか増えてしまった「自炊」の謎

「自炊が増えました」という、主婦らしからぬ(?)衝撃の告白

ミニマリズムを始めてから、以前よりキッチンに立つことが苦にならなくなったんです。
料理は得意な方ではなく、忙しさを理由にお惣菜に頼る日も多かったのですが、今は冷蔵庫の「あるもので作る」のが楽しみの一つになりました。

キッチンから不要な道具や賞味期限切れのストックが消え、「調理への取りかかりコスト(意思決定の負荷)」が下がったこと、調理道具の出し入れが簡単なことが要因でしょう。

すっきりしたキッチンに立つのは心地いいですしね。
それと、今後書くつもりであるミニマリズムで芽生えた「節約意識」「健康意識」への高まりも関係しています。

主婦歴は長いのに、今さら「自炊が増えた」なんて……今まで何をしていたのかしらねぇ💦

でも、これこそが「余裕ができたからこそ、暮らしを楽しめるようになった贅沢な変化」なのだと感じています。

 

3、アイロン台との和解:先延ばし癖の終焉

宿敵・アイロンがけを「あとで」と言わなくなった理由

家事の中でもダントツに嫌いだった宿敵、アイロンがけ。
シワを伸ばすのが下手すぎて、衣類がドンドン溜まり、それを見てはやる気が下がり、そして更に衣類が溜まり、益々やる気が失せる……そんな負のループにいました。

しかし、ミニマリズムがこの宿敵を退治してくれました。

  • 衣類の数自体を減らした

  • アイロン不要の素材を選ぶようになった

  • 残ったのは、丁寧にお手入れしたい「お気に入り」だけ

今では、大好きな服をいそいそとメンテナンスする時間が、「私、丁寧な暮らしをしてるわ💛」という自己肯定感を上げる儀式に変わりました。

(※書きながら気づきましたが、『嫌なこと自体を手放せるように工夫する』ことも、立派なミニマリズムですね。)

 

4、小さな時間の積み立て:探し物という「人生の損失」を断つ

数秒の「迷わない」が、大きな「自由」を連れてくる

モノを減らすと確実に探し物が減ります!
モノの数が少なくなるので、どこに何がどのくらいあるのか、という管理が容易になるんですね。

そしてモノが少ないので選択に悩むこともなく、迷う余地もありません笑

一回数分の「探し物」や「迷い」は、一日単位で見ればわずかかもしれませんが、一年、数年と積み重なれば膨大な「機会損失」になります。

ミニマリズムは、この「小さな時間の漏れ」を塞いでくれます。
何より、「探す・迷う」というストレスから解放されることは、精神的エネルギー(ウィルパワー)の温存に、これ以上ないほど効果的なのです。

 

空いた時間で、私は「私」を生き始める

家事が省エネ化され、時間に余白ができたとき、人は迷走し始めます。
でもそれは、今まで「やらなければならないこと」で埋め尽くされていた人生が、「やりたいこと」を選べるフェーズに入った証拠かもしれません。

探し物をしていた時間は、今では日記を書く時間に。
家事に追われていた時間は、新しいことに挑戦する時間に。

奇跡は、時計の針がゆっくり回り始めた感覚から始まります。

家の中も正月太り

1月3日の近所の風景です。

お正月なのにお仕事お疲れさまです。

とてもとても暖かくて気持ちの良い日でしたので、作業にはもってこいだったのかもしれませんね。

トラクターの後を白鷺がずっと、ついて歩いてました。
トラクターがターンをしてもやっぱり後ろを歩いていました。

その姿が「かわいい💛」と思ったのですが、白鷺にとってはただ餌を探すという生命存続に関わる行為ですよね。

この時期、虫も少ないだろうから掘り返された土の中は鳥にとっては比較的ご馳走だったのかもしれません。
お正月だしね!

 

さて・・

モノが年末から増えてしまいました・・

セーターの替えが欲しくて買い物に出かけました。
たった一枚でよかったのに、お店のお姉さんに「お似合いですよぉ~💕」と持ち上げられてあれもこれもと買ってしまいました。

セール中でほぼ半額に近かったのでお買い物的には賢かったかもしれないし、確かにおしゃれで似合うのですが、体は一つしかないのにいつ着るのだ?

それらをかけるハンガーもありません。

ああ、おばか

そして、帰省した子供たちが置き去りにしたものや、その他こまごましたものも増えてしまって・・

年末年始でお財布のヒモが緩むと同時に、心のストッパーも外れてしまったのかしら。

トラクターのおじさんのように正月でも仕事してればよかった・・

 

などと考えてしまったお正月でした。

まだまだ「足るを知る」には程遠い・・

モノが増えると思考がちょっと滞る感じがします。
(いやいつも滞っているのにモノのせいにするな!)

でもまぁ、ちょっとくらいお洒落も楽しまないと・・ねぇ笑
(自分に甘い)

 

お正月太りのように家の中が内臓脂肪過多気味になってしまったので、また今年もミニマリズムを更新してモノも習慣も行動もシンプルにしていこうと思った次第です。

そしてブログを継続いたします。
↑宣言!

 

今年もよろしくお願いいたします。

整えびと まりぶ

 

 

 

今年の大きな気づき・・だよ

先ほど、マウスが動かなくなって、左手でマウスの底を思い切り叩いたら復活しました。
昨日も、モニターが映らなくなったので叩いたら復活しました。

電化製品が動かなくなると、どうも叩く習性のある年代のまりぶです。

 

一週間ほどインフルエンザで寝込んでしまい、久しぶりに熱を出し、その後はゴロゴロダラダラ過ごしておりました。
今回はプリンやハーゲンダッツや、あったかおうどんなどを毎日の楽しみにしてゲームや本三昧。

いやぁ、休むって幸せ(=^・^=)


これは私には画期的なことです。
以前の私なら、こんな過ごし方をしている自分にダメ出しをして、家事や仕事をできる範囲でしていたのですが、年齢のせいかしら、全然自分を追い立てず、毎日を楽しんでいました。

 

最近の楽しみは
朝6時過ぎ、窓を開けてひんやりした空気を感じながら、薄暗い空が徐々に明るくなるのをただ眺めながらコーヒーを飲むこと。

私は「ボーっとする」ということができなかったんです。
例えば温泉でお湯につかっていても「そろそろボーっとできたかしら?」などと思うくらい、なにもしないって何をしたらいいん?と考えこむような感じでした。

今はボーっとすることがこんなに心地いいとは。
しかもお金もかからない。

そしてね、影のように木々が見えるだけの薄暗い空間の静寂をちょっとだけ破るかのように、鳥が「ちっち」と鳴いた時に、ちょっとした驚きが感じられたんですね。
まだまだ自然は驚きで満ちている・・とそう感じられました。

 

自然界にはまだまだ私の知らないことが沢山あり、それは驚きや楽しみに満ちていて、しかも別に遠くに行かなくても身近なところでも楽しめると感じています。

散歩中だって、様々な表情の空や雲や太陽や月や、鳥の可愛い姿や、色とりどりの落ち葉のじゅうたんや、蜘蛛の巣の美しい図柄や、朝日に光る露を載せた葉っぱとか・・


私たちは沢山の便利なモノに囲まれて、沢山の楽しさを生み出してくれるモノにも囲まれていますが、これ以上何が必要でしょうか?

日本の大多数の方は、生活必需品といわれるものは買いそろえていて、娯楽も趣味も楽しもうと思ったら高額なものでなければ、大体手に入るじゃないですか。

それでも情報は、新しいもの、更に付加価値を加えたもので溢れていて。

でもそれって本当に必要?

いやぁ、もういらんいらん。

少なくとも私にはもういい。

地球という惑星は様々な表情で私達を楽しませてくれるのに、人が作り出したモノはもうこれ以上はいらんよ。

 

身の回りにある自然を楽しんで、朝のコーヒーが美味しければもういいですよ。

 

というようなことに気付いてしまったある日の朝でした。

 

あっ、あとは時々お酒と、気兼ねなく笑いあえる友達との時間。

 

これは年齢のせいかしら?
それともモノが少なくて他に楽しむものがないからかしら?
幼い子供はおもちゃがなくても、目の前のモノで遊ぶみたいな。
それとも、モノが少ないから感性が研ぎ澄まされてきたのかしら?

ふーん、まぁいずれにせよ、これがいい感じなので、これでいいや。

 

来年は何に気付くのかしら?

そう考えると自分もまだまだ伸びしろはありそうです。

よかったぁ。

 

今年はブログを始めるという偉業を成し遂げましたので、来年はまりぶ史上最も難関といわれる「継続」にチャレンジしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

整えびと まりぶ

空間の奇跡:視界と心のリフォーム(「どこでも見せられるはず」になった私の家)

↑この中にウチ猫1がいます。さて、どこでしょう!

いやいやいや
かつての汚部屋を世間に披露する日が来るとは・・
みなさま、さぞかしご気分を害したことと思います。

それでは思いっきり深呼吸をしてください。

用意はいいですか?
それでは、3、2、1!

吸ってぇ~
吐いてぇ~

ついでに畳の上でゴロゴロ寛いでください。

 

皆様こんにちは。「整えびと」のまりぶです。前々回の「仕事の奇跡」

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で心の荷物が軽くなりましたが、今回は物理的な空間の変化について綴ります。

30年間「足るを知る」に憧れながらもモノを溜め込み、片付けてもリバウンドしてしまう自分にうんざりしていました。

しかし、2年間かけてモノを手放し続けた結果、私の家は劇的に変わりました。これは単なる「片付け」ではなく、私の視界と心のリフォームと呼ぶにふさわしい変化だったのです。

 

1、物理的なリフォーム:大きな家具の断行

「大きな家具もサヨナラ」できた理由と、空間に生まれた解放感
※物理的なリフォームと言っても、家の改修、修繕ではありません。

写真にあるようなまあまあ大きな家具、他にも学習机や数ある収納用品をサヨナラできました。

その理由は、モノを減らしていくうちに不要になってしまった、というのが大きな要因です。
結果、深呼吸ができるような空間が手に入りました。

以前の私は、どんなに片付けようとしても部屋がすっきりしなかったんです。
まるで、『モノの量が減っても、なぜか部屋が散らかっている』という物理法則に逆らう現象が起きているかのようでした。
しかし、本気で手放したら、空間は広くなり、すっきり見えるという当然の物理法則に逆らっていなくて安心しましたよ。

写真の和室も畳の良さが蘇り、その上でゴロゴロ転がることの楽しさ、風が部屋を通り抜ける心地よさを味わっています。

モノの住所だった家具を減らすことで、「空間そのもの」を楽しむという、とても贅沢な価値に気づきました。

モノがなくても十分楽しむことはできるんですね。

 

2、視界のリフォーム:家がちょっと好きになったかも

「どこでも誰にでも見せられるはず」...たぶん(控えめな自信)

以前は写真の和室をはじめとする「ここだけは開けられない/見せられない」場所がありましたが、それが格段に減りました。

私は、片付けるのは好きなはずで、収納上手なはずと自負していたにもかかわらず、この和室は必ず物置部屋になってしまっていました。
きれいにしても、また元に戻るんです。
今思えば、この部屋があるからこそ、他の部屋の「秩序だった見た目」が保たれていたのかもしれません。
(※つまり物置部屋として必要不可欠な部屋だった。)

そして視界から雑多な情報が減ったことで、脳の疲労が軽減され、家という空間が「休息の場」へと変わった気がします。
以前より家にいる時間が増えたんです。

古いとか、暗いとか、使いずらいとか、自分の住まいに対して文句ばかり言っていましたが、今は家がちょっと好きになったかもしれません。

いつでもどこでも開けていただいて大丈夫!
なはずです!

 

3、心のリフォーム:モノを減らして得た「余白の定義」

空間の余白が心の余白へ、私を導いた連鎖

モノがないとまず、掃除が楽です。

以前はモノをどかしながら掃除機をかけたり、棚の上の埃を取っていました。
モノが多いとそれらに付着した埃を払うのはかなり手間で、飾り物はいつもうっすら埃の雪を被っていました。

しかし今は、掃除機は快適に動かせますし、棚の上もハンディモップで撫でれば終わりです。

こうして【空間の余白】から 【時間の余白】が生まれました。

つまりやらないといけないことにかかる時間が減るわけなので、忙しさも減るわけです。

そうすると頭の中のタスクも減り、思考が整理され【心の余白】が生まれます。

心に余白が生まれるということは、新しい何かをやる気が起こったり、何かを楽しむという余裕が生まれます。

こうして、モノを減らすことで心の変化が生まれるんだなぁと身をもって知りました。

心というのは目に見えず、自分でコントロールすることも難しいです。
ですが、モノという目に見えるものを減らすことで、確実に心に変化が訪れます。

そしてモノの管理から解放されることが、ストレスの軽減自己肯定感の向上という、精神的なリフォームに繋がったと感じています。

 

今回は
【空間の余白】:モノがない → 掃除が楽 → 【時間の余白】:忙しさが減る → 思考が整理される → 【心の余白】が生まれる。
という流れをご紹介しましたが、他にも様々な要因から心の余白は生まれます。

それらについても今後お話しできたらと思います。