
↑「かったりぃ、ですけど何か?」なウチ猫2
モノを捨てたら、自分が見えてきた
みなさま こんにちは。
「整えびと」のまりぶです。
モノを減らし、時間を整え、働き方を変えてきた私のミニマリズムの旅。
その先で待っていたのは、想像もしていなかった「心の劇的な変化」でした。
物理的なゴミを捨てたつもりが、実は心にこびりついていた「見栄」や「執着」を剥ぎ取っていたようです。
今回は、ミニマリズムが私の内面に起こした、静かで力強い奇跡について綴ります。
1、見栄の脱ぎ捨て:他人の目より、自分の居心地
「どう見られるか」を捨てたら、自己肯定感が勝手に上がった話
以前は自分に自信がないため、高価な洋服や持ち物で自分を武装していました。
それが、モノを片付けていくうちに、それらの高価なモノ達が今の自分にしっくりこなくなっていて、今の自分をしっかり見つめるようになった気がします。
そして仕事の奇跡でもお話ししたように、モノを手放すことで「いい人」「できる人」という見栄も手放せたんですね。
これは本当に心地いです。
「立派そうな自分」を演じなくていいんです。
今のそのままの自分でいる方がよっぽど地に足がついている感じです。
洋服を選ぶ時も、「人からどう見られるか」よりも「自分が心地いいと思えるか」で選ぶようになりました。
他人からの評価(外的な承認)に頼るのをやめ、自分軸(内的な納得)で生きるようになったことで、結果的に自己肯定感が高まったように思えます。
自己肯定感とは、何か他のものを足すことではなく、自分を縛っている不要な鎖を外すことで得られるものだったのですね。
高級な鎧を脱いだら、中身はただの『まりぶ』でしたが、意外とこっちの方が身軽でいい感じなんです。
2、「めんどくさい」の正体:脳のノイズ、無意識なタスクを断捨離する
口癖だった「めんどくさい」が、どこかへ消えてしまった理由
以前はあらゆることに「めんどくさい」と言っていましたが、その頻度が激減しました。
モノが多い=選択肢が多すぎて脳が疲労(決断疲れ)していたから「めんどくさい」と感じていたのではないかと思います。
物理的な障害が減ったことで、行動への心理的摩擦が消えたんですね。
そして、見栄を手放したということは、見栄のための余計なタスクも減ったということです。
やりたくないけれど、やらなければならない自分を良く見せるためのタスク。
これはストレスの元ですし、やりたくないので「めんどくさい」になりますよね。
このように考察していくと、私はなんて複雑な思考回路でストレスフルで時間も無駄にしていたのだろうと思います。
今までの私は、人に良く見られるためにモノに頼り、次第にモノに埋もれてしまって自分が見えなくなってしまっていたのかもしれません。
なので、今の自分に必要なものだけにしていくうちに、自分が見えてきて、心の余計な鎧も捨てられたのかなぁ、などと思ったりします。
お部屋は心や頭の中を表しているとはよく言われますが、それならば部屋の中を片付け、モノを減らしていくことで、心や頭も軽くなるのも納得ですね。
(つづく)